東京科学大学 理学院 物理学系
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人類の空間活動を支える基本技術とは一体何でしょうか?大学で授業を聴講するにしても、会社で仕事をするにしても、旅行先で食事を満喫するにしても、「時刻」と「自分の位置」をとらえない限り何も始まりません。t - x, y, z これらの情報を得ることは、現代社会において、もはや意識することさえない程、当たり前の作業になっています。t、すなわち時刻を推定する装置のことを「時計」と呼ぶことは誰でも知っています。究極の時計の一つの形態が、東京大学の香取秀俊先生によって光格子時計という形で与えられました。では、x, y, z を推定する装置、いわば「位置計」とでも呼ぶべき装置は一体何に相当するのでしょうか?多くの人は、地球規模の位置標定システム Global Positioning System(GPS)こそがそれだと答えるでしょう。確かにGPSを使うと、自分の位置をメートルレベルで知ることが出来ますし、衛星が発する電波の位相までとらえればセンチメートルレベルの測位すら可能です。しかしGPSは、海中・地中といった電波が届かない場所では使えませんし、さらに地上といえども妨害や欺瞞を受けることがあります。深宇宙に行けば、GPSというインフラそのものが存在しません。
このように考えると、「時計」と「GPS」には何か決定的な違いがあるように思えてきます。実際、その直感は正しく、前者が自律したシステムであるのに対し、後者は地球全体に広がる衛星というインフラに立脚した他律的システムだといえます。では、時計と同様に「自律して位置を推定できるシステム」は存在するのでしょうか?
加速度計が出力する加速度を時間で2階積分すれば変位がわかり、ジャイロスコープが出力する角速度計を時間で1階積分すれば角度増分がわかります。初期位置さえわかっていれば、これらの情報を順次つなぎ合わせていくことで自分の位置を推定することができ、これを慣性航法と呼びます。この方法は外部からの信号に全く頼らないため、時計と同様に完全に「自律したシステム」です。

慣性航法は日本を取り巻く海洋資源の効率的な探査、旅客機の安全な航行、低軌道衛星によるコンステレーションの高度化、深宇宙探査など、文字通り人類の空間活動領域を広げるうえで圧倒的に重要な技術として認識されています。しかしながら大学を中心とする日本のアカデミアは、t - x, y, z のなかで、t を推定する研究については精力的に取り組んできたものの、x, y, z を推定する研究については長年にわたり興味を持ってきませんでした。その結果として、我が国の慣性航法装置の性能は、諸外国に比べて2桁も悪いという看過しがたい状況が発生してしまいました。これは海中、地上、空中、宇宙、といったあらゆる空間領域において、我が国の今後の活動を静かに、しかし確実に律速する原因となります。
そもそも慣性航法装置の精度を律則しているのは、加速度計とジャイロスコープのどちらなのでしょうか?高性能の慣性航法装置の中には、下図のような加速度計とジャイロスコープとがはいっています。加速度計としてはクオーツペンデュラムと呼ばれる方式が利用されることが多く、加速に伴い発生した角変位を、磁場を使って0に保つ機構となっています。磁場発生に必要な電流が加速度計の出力を与えます。このタイプの加速度計は数10ccと超小型、かつ高精度であり、出力のバイアスは 10μg 程度しかありません。
一方、ジャイロスコープとしては、例えばリングレーザー方式が非常に高い性能を誇ります。3枚のミラーを使ってレーザー共振器を組むと、右回り、左回り、2方向の発振が同時に許されることになります。リングレーザージャイロを回転させると、右/左回りの光路長に差が生まれ(サニャック効果)、両者の発振周波数にも差が生じます。このとき二つのレーザー間のビート周波数は、角速度を反映することになります。リングレーザージャイロの出力バイアスは 僅か数mdeg/h です。
両者のドリフトをもとに計算した慣性航法の誤差をプロットすると、加速度計については一定周期で振動し、ジャイロスコープについては振動しつつ増大していくことがわかります。この周期は「シューラー周期」と呼ばれ、地球半径と同じ長さの振り子がもつ周期(〜84分)に対応します。このことから明らかなように、自己位置推定機器の精度は、ジャイロスコープの性能によって律則されています。

先ほど、リングレーザージャイロは回転に伴って右/左周りの光路長に差がでるサニャック効果を利用していることを説明しました。下図はサニャック効果の概念図です。ここで生じる位相差が使用する波の波長と速度に反比例することに着目すると、光波に比べて両者の値が小さい波を起用すればジャイロスコープの性能を飛躍的に高めることができるのではないかという発想が得られます。光波のかわりに原子がもつド・ブロイ波を起用するのが量子ジャイロスコープというわけです。波長 λ と速度 v の積 を光と原子とについてそれぞれ計算し比をとると、 mc2/hν 、すなわち光子のエネルギーと原子の質量エネルギーの比となることがわかります。両者の比は、1010 程度と桁違いに大きいことを皆さんはご存知でしょう。

では、どうすれば光ではなく原子の波を使って干渉計を構築することが出来るのでしょうか?オーブンを暖めると原子が気体となってビーム状に噴出します。下図で青く示したのがそれです。ここに直交する方向から対向するレーザーを照射することを考えます。レーザーを対向させると光定在波が発生しますが、この周期構造が原子波に対して回折格子として機能し、原子ビームを二つのビームに分岐させます。いわゆる量子的な重ね合わせ状態が形成されるわけです。再度、対向するレーザーを原子ビームに照射すると、今度は回折格子がミラーとして機能し、原子ビームが屈曲します。最後にもう一度レーザーを照射することで二つの原子波が合波し、目的とする物質波の干渉計が構築されるわけです。

私達は原子がもつド・ブロイ波を使って超高性能のジャイロスコープを作成し、飛躍的に高い精度をもつ慣性航法装置を実装する研究を進めています。既に小型で可搬な量子ジャイロの実装に成功しており、最近では一つの原子干渉計を使って加速度と角速度とを同時に計測する新規な手法を理論提案し、その実験実証を進めています。さらに、これはニーズドリブン研究ですから、量子技術のみを追求するのではなく、古典慣性センサーの研究も同時並行で進め、最近では、我が国の慣性航法装置の性能を2桁向上させ、世界最高レベルの装置にキャッチアップすることにも成功しています。ニーズドリブン研究とは、私達が手にした物理の知識・経験を思う存分使って、「究極の役にたつ装置」を作り上げるプロセスなのです。現在、我々は地上や海中での実験を主にプロジェクトを進めていますが、これから宇宙空間での実証実験を進めていくことを計画しています。