磁性量子気体の物理

上妻研究室 Kozuma lab.

東京科学大学 総合研究院 量子航法研究センター
東京科学大学 理学院 物理学系

磁性量子気体の物理


私達は、ユウロピウム(Eu)というランタノイド系の原子種を世界で初めてレーザー冷却することに成功しました。さらに、原子気体の温度を冷やすことで、ボース・アインシュタイン凝縮を誘起することにも世界で初めて成功しました。この我々独自の系を利用して磁性をもった量子気体の新奇な物性を探索しています。具体的な成果として、ごく最近になり、ボース・アインシュタイン凝縮体を用いたアインシュタイン・ドハース効果を観測することに世界で初めて成功しました(アインシュタインが2回登場する物理現象です!)。磁性をもった量子気体とは何なのか?どのような面白い物理が潜んでいるのか?これからその説明をさせて頂きたいと思います。なお写真は、私達が作成した Eu の実験系です。


ボース凝縮体は nK オーダーの超低温状態にあり、原子間の相互作用は、通常、短距離等方的な s 波散乱によって支配されます。ところが、大きな磁気モーメントをもつ原子種を使ってボース凝縮体を生成した場合は、原子間に長距離異方的な相互作用が働くようになり、新奇な物性現象が現れます。ここで「長距離」とは、原子間の Van der Waals 引力が相対距離の 6 乗に反比例して減衰するのに対し、磁気モーメント間の相互作用が 3 乗に反比例して緩やかに減衰することを表します。また相互作用が異方的であることは、2つの磁気モーメントが平行な場合に斥力が、直線上に並んだ場合に引力が働くことを考えれば理解しやすいでしょう。


dipole


大きな磁気モーメントをもつ原子種のレーザー冷却・ボース凝縮は、ボーア磁子の6倍の磁気モーメントをもつクロム(Cr:質量数 52)から始まり、最近は10倍、7倍の磁気モーメントをもつジスプロシウム(Dy:質量数 164)、エルビウム(Er:質量数 168)といった原子についても研究がなされるようになってきました。これらの原子種を使うことで、新奇で普遍的な現象が次々と観測されているのですが、ここでは Dy を用いた 量子液滴の観測について簡単な説明をしてみたいと思います。磁性をもった微粒子を油に混ぜた「磁性流体」をみたことがあるのではないでしょうか。この磁性流体に磁場を加えると、液面が変形し規則的な突起が現れます。これと同様の現象を量子気体で発現した状態を量子液滴と呼びます。


Spike


大きな磁気モーメントをもつ Dy のボース凝縮体に静磁場を加えることで、これと同様の現象を観測することができます。「古典系で観測出来ている現象を、わざわざ量子系で観測する意義はどこにあるのだろうか?」と疑問をもつ人がいるかもしれません。実は、Dy のボース凝縮体に発生した規則的な突起構造は、密度の周期性と超流動性とが共存した「超固体」に深く関係していると考えられており、超流動性を確認するための実験研究が精力的に進められています。この他にもボース凝縮体が自由空間中でクローバーリーフ状に拡散するd波崩壊などが観測されており、磁性をもった量子気体を対象とした物性研究が世界的にホットな研究領域となりました。


そんな中、我々が注目したのはスピンの自由度です。上記した実験は、原子気体に磁場を印加することで原子中のスピンをそろえた状態で行われていました。一方、磁場を極めて小さくし、スピンが自由に動き回れるようにすると、全く新しい物性現象が発現することが理論的に予言をされています。特に興味深いのは、絶対零度、つまりこれ以上系のエネルギーを下げることが出来ないにもかかわらず(量子基底状態)、原子気体が回転する渦を形成する可能性が示唆されていることです。この状態を実現するには、地球磁場の10万分の1に相当する10μG程度まで環境磁場を抑圧しなければなりません。私達は実際にそのような磁気シールドを開発し、その中でEu原子気体をボース凝縮させる実験系を構築しました。上記した状態を実現するためには、まず、スピンと質量流とが結合した状態をダイナミックに生成できることを確認しなければなりません。それが最初に説明したボース・アインシュタイン凝縮を用いたアインシュタイン・ドハース効果と呼ばれる現象です。この現象は理論予測以降、20年間、誰も観測することができませんでしたが、超弱磁場環境とEu原子という究極のシステムによって、我々が世界で初めて観測に成功しました。この結果をもとに、既に私たちは上記した新奇な量子基底状態の観測に挑んでいます。Eu原子気体を用いた磁性量子気体の物性研究の幕開けです。